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ミレニアル世代を中心に、シェアという事が無視できなくなった、と感じています。
むしろ、時代の中の大きな流れの1つ、と実感しています。

僕の仕事は不動産なのですが、
あちこちで、シェアという言葉について聞くようになりました。

シェアハウス、シェアオフィス、シェアキッチン、
タイムシェア、カーシェア、シェアスペース。

不動産以外にもシェアリングエコノミーの波は当然のごとくあり、
Airbnb UBER facebook instagramなどが代表的なサービスです。 

シェアする、ということがこれだけ流行っている以上に、
幸福を感じるために(というと宗教っぽいですが、)
手段の1つとして、シェアすることが確立され始めたように思います。 


 


不景気からはじまった、資本主義づかれ



僕らミレニアル世代は、生まれてからこれまで、
消費者がいろんなものを選べる時代を生きてきました。

一方で、不景気だ、ということが終始、
取り沙汰され、自分たちの世代=不景気、という認識の元、
育ってきました。




実はまだ、年収ベースで貧しくはない、20代


トータルの年収は下がっているのですが、
今現在のみにフォーカスをあてると、
実は煽りを受けているのは、
僕ら世代(20代)ではなく、
40代50代の本来予想していたよりも、
年収が大きく上がった世代でした。

そんな彼らを見て、
「将来、年収は上がらないのかもしれない」
という気持ちから、
消費活動にも慎重になるようになりました。

特に、
「企業が儲ける為の経済活動」
には過敏と言っていい程、
敏感に拒絶感を示すようになったと思います。




共感による消費は、ミレニアル世代に限った事ではない


これは、全世代共通しているのですが、
ミレニアル世代の場合、
成長と共に、情報の伝達が非常に容易になりました。

20年前は、WEB上に自分たちがメディアを持つ事は
一部のオタクに限ったマイノリティでしたが、
むしろ今では、SNSというWEB上を持ち、
自ら発信したり、情報を収集することが当たり前になりました。

不動産の仕事をしていると大家さんに良く会うのですが、
資本家や投資家の中にも、資本主義に疲れている人に時々会います。




選ぶなら、世界観の共感できる商品を選びたい


というのは、多少経済的な制約は出るものの、
お金を持っているかどうかに依存しなくなりました。

それは、
「シェアをキーワードにしたサービスが登場」
したからでした。

SNSの発達は前述の通り個人の発信が用意になったのですが、
他にも、例えばクラウドファンディングなどは、
お金の流れが流動的になりました。

本来、人からお金をもらうには、
・親類に頼み込み貸してもらう
・銀行に融資を申し込む
・商品と交換
という形を取っていました。

しかし、クラウドファンディングの発達で、
個人が自分でお金を集める事ができるようになりました。

しかし、あくまで可能性があるだけで、
共感を生まないプロジェクトなどのプロジェクトは
失敗するものも多々あります。

クラウドファンディングについてはまた別の機会に。




シェアするコストが下がった


シェアする事に話を戻しますが、
シェア、と聞くと最近の言葉のように感じますが、
実は、シェアすること自体の幸せは昔から、認知されていました。
例えば、お裾分けの文化は、シェアすることの幸せとして、
非常に分かりやすいように思います。

一方で、シェアすることにはめんどくささがついてまわります。
「お裾分けして、いやがられたらどうしよう。」
「写真を見せたいけど、メールで送るのはデータ重たいだろうか。」

結果、おせっかいという言葉には
「ややめんどくさそうなニュアンス」
が含まれるようになりました。

それが現在、インターネットのインフラが整い、
Facebookやインスタグラムなど、(ブログもそうですね)
個人がメディアを持ち発信しやすい時代となりました。

おせっかいな人たちは基本的に善意なので、
「おせっかい=めんどくさい」は、
マッチングとタイミングだけの問題だったのです。




情報をシェアするハードルが下がれば物・事も流動的に


そんな情報をシェアする事のハードル、
つまり発信のハードルが下がり、
「今日、一緒にご飯食べる人」
「この家具もらってくれる人」
など、募集自体も発信され、情報がどんどん流動的になり、
結果、物や事もどんどん流動的になることで、
所有する事の価値が相対的に下がってきました。

一緒に○○しないといけない、から
一緒に○○できる、そんな時代になったのだと思います。




ギブ・アンド・テイクからシェア・アンド・シェア


ギブアンドテイクは、
「これをすると、誰かが嬉しいだろうな」
が、結果、
「自分が困ったときの備え」
になっています。

人に物をあげる行為は、
短期的に見ると、ギブアンドテイクに見えます。
が、長い目で見ればお互いの関係、もしくは周囲を巻き込んだ、
地域経済の中で、シェアしているとも言えます。

ギブアンドテイクで完結しない、
関係性が構築しやすくなったからこそ、
シェアする、という事の価値が上がっています。




シェアハウスは、経済合理性からコトの共有の時代へ

 
シェアハウスといえば、経済合理性から、
家賃の高い都市部で広まるようになりました。
しかし、だんだんと所得が高い人もシェアする波が出ています。

経済合理性の反動から、高級なシェアハウスも誕生しました。
高級なシェアハウスでは、ジムや子育て機能やヨガ教室などついています。
施設に投資することに重きを置かれました。

それから数年経ち、施設があっても本質的な満足には繋がらず
シェア本来の価値である、関係資本にも目を配られるようになりました。

普通の人が、人とシェアをする事で、
今までの一人暮らしより、ちょっとだけ幸せになれる、
そんな手段に、シェアハウスがなりつつあると感じています。